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よみがえる総天然色の列車たち 第2章20 蒸気機関車篇〈前編〉

蒸気機関車篇〈前編〉 奥井宗夫8ミリフィルム作品集
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よみがえる総天然色の列車たち 第2章20 蒸気機関車篇〈前編〉

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製品内容

第2章の集大成「蒸気機関車篇」登場!
鉄道8ミリ界巨星の秘蔵カラーフィルム作品集

全国の幹線や地方幹線で活躍した蒸気機関車。動力近代化計画が進むにつれて昭和 30年代後半から少しずつ姿を消しはじめ、昭和40年代に入ると、そのペースは急激に加速していった。そんな中まだまだ主役として旅客列車や貨物列車の先 頭に立ち続けた、各地の機関車の雄姿が鮮やかによみがえる。(昭和34年~昭和46年撮影)

[山陽本線 C62・D52/山陰本線 C54]
山陽本線は横川−小郡間が非電化で、C62形がブルートレインを牽引して下関まで直通。セノハチでは予備機ながらD52形が貨物列車の後補機として活躍を続けていた。山陰本線ではC54形最後の6両が浜田機関区に集められていた。

[御殿場線・国府津機関区 D52]
高規格路線の電化で運用範囲が狭められた日本最重量の蒸気機関車D52形は、昭和42年には国府津機関区を本拠に、御殿場線を本州最後の働き場所としていた。

[常磐線・平機関区 C60・C61・C62]
常磐線全線電化完成直前の昭和42年の撮影。蒸気機関車牽引による最後の特急運用となった「ゆうづる」を牽引するC62形や、C60形・C61形が旅客列車の先頭に立つ。

[呉線・糸崎機関区 C59・C62]
大阪万博が佳境に入った昭和45年夏。C62形にとって本州最後の働き場所と なった呉線では、蒸気機関車牽引の旅客列車の前にEF58形が連結され、習熟運転も行われている。列車は機関区のある糸崎まで直通。同機関区からのSL引 退を記念して岡山−糸崎間ではC6217+C59164の「さよならC62号」が運転された。

[北陸本線・米原-田村 D50]
田村以北が交流で電化され、交直セクションが介在する米原−田村間では、昭和42年当時、主にD50形が列車を牽引し、赤い電機に引き継いだ。

[若松機関区 C55/直方機関区 D60]
筑豊本線起点の若松駅に隣接する若松機関区。旅客列車を牽引するC55形は当時北海道と九州に残るだけとなっていた。巨大な給炭装置がシンボルの直方機関区には、もうもうと黒煙を立ち上げるD60形の姿。石炭輸送列車を牽引して鹿児島本線へ直通した。

[伯備線・新見機関区 D51]
D51形が旅客に貨物にと主役として活躍していた昭和46年。3重連の撮影名所として知られた布原信号場ではファンの便宜を図って客扱いも行った。

[紀勢本線 C51・C57/名松線 C11]
昭和30年代後半の紀勢本線では、超特急「燕」を牽引したかつての花形機関車C51形が活躍。亀山機関区所属機はC57形との重連でも運用されたほか、貨物列車も牽引した。

[関西本線 D51]
25‰の勾配が続く亀山−柘植間の「加太越え」区間ではD51形牽引の列車にD51形の後補機も連結。スイッチバック式の中在家信号場や煙対策にシャッターを取り付けた加太トンネルなど、蒸機時代の山越えの苦労が忍ばれる。

[紀勢本線・参宮線 ふるさとの汽車]
D51形やC57形が活躍する一方、DF50形も併用。新たにお座敷列車が登場し、C57形がその先頭に立った。

[加太越え 1969~1971]
動力近代化が進み、SLブームが沸き起ると、「加太越え」区間は撮影名所に。

[さよならC51225]
昭和40年2月、亀山機関区に所属する最後のC51形となった225号機のお別れ会が開催された。

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