宇高連絡船 〜昭和63年・宇高航路最後の日の記録〜
宇高連絡船 ~昭和63年・宇高航路最後の日の記録~
1910(明治43)年6月12日、宇野線の開通と同時に開設された鉄道連絡船、宇野高松間航路。宇高航路、あるいは宇高連絡船と呼ばれて親しまれ、本州と四国を結ぶ大動脈として日夜の活躍を続けた。しかし昭和30年に起きた連絡船・紫雲丸の沈没事故をきっかけに本四架橋構想が具体化し、1988(昭和63)年4月10日に瀬戸大橋の開通によってそれは現実のものとなった。
瀬戸大橋開通を翌日に控え、最後の日を迎えた宇高連絡船は、名残りを惜しむ多くの乗船客を載せて瀬戸内海を渡り、本州と四国を結ぶ役目を瀬戸大橋に譲って廃止された。
宇野と高松を63分で結んだ宇高航路。国鉄からJR四国に運営が移ったのちも、旅客だけでなく車両航送も行い、最後の『鉄道連絡船』として運航が行われました。宇野駅や高松駅が周辺を含めてリニューアルした現在、その痕跡を現地に見いだすことすら難しくなりつつあります。この作品では、連絡船最終日を主とした映像でまとめました。穏やかな瀬戸内海をのんびり渡った連絡船の雰囲気をご堪能ください。
■内容
*連絡船の活躍と船内の様子
*ブリッジでの操船の様子
*ホバークラフト『とびうお』
*宇野駅・高松駅の様子
*伊予丸船長が語る
*最終便
*瀬戸大橋開通
*高速艇『しおかぜ』
*廃止後の高松桟橋と宇野桟橋
※この映像は、そのほとんどを当時の撮影テープから抜き出し、デジタル処理をして再編集しました。こうした処理によりVHS発売当時より数段画質の向上が見られました。しかし一部のカットでは原版の映像テープ自体の劣化のためにドロップアウトノイズが入っています。古い貴重な映像のため、あえてそのまま使用しました。ご了承ください。