よみがえる総天然色の列車たち第2章(3)
西日本の私鉄各社では初期の新性能車両が大活躍し、戦前の古豪たちは第一線から退きながらもまだまだ元気に働いていた時代。次世代型車両登場の陰でやがて引退していった想い出の車両たちや、旧塗色の懐かしい姿、また廃止となった路線や施設など、当時の様々な鉄道風景を社局ごとに紹介する。
●阪急電鉄(京阪神急行電鉄)
高架駅完成の頃の梅田-十三間の三複線を行き交う新旧の列車群は電車博物館さながら。西宮北口名物ダイヤモンドクロス、三宮の神戸阪急ビル、100形(P-6)や800系最晩年の姿などを記録。(昭和47年~昭和56年撮影)
<京都本線>710系(十三行き普通)/2800系(特急・通勤特急)/6300系/<千里線>700系・1300 系・100形(P-6)/<嵐山線>210系・700系/<宝塚本線>920系・1100系・2100系/<神戸本線>800系・1010系/2000系(須磨浦特急)/<今津線>810系・920系/<箕面線・甲陽線>800系
●大阪市営地下鉄
地上および乗入れ区間をラインカラー導入前後の車両たちが駆け抜ける。(昭和50年撮影)
<御堂筋線>30系/<中央線>50系/<堺筋線>60系
●北大阪急行電鉄
当時の北急唯一の形式。(昭和50年撮影)
2000形
●能勢電気軌道
急カーブが連続する旧線と、付け替えられた新線が混在する路線を川西能勢口から妙見口へ。元阪急小型車のパラダイスに中型車610系が入線。(昭和52年撮影)
50形/320形/500形/610系
●阪神電気鉄道
本線は「赤胴車」「青胴車」の全盛期。武庫川線は1連、西大阪線では2連の列車がのどかに走る。併用軌道の北大阪線・国道線・甲子園線はその後一斉に廃止される。(昭和38年~53年撮影)
<本線>5101形・5201形・5231形「ジェット・カー」・5201形「ジェット・シルバー」/3301形・3501形・7801形・7861形「赤胴車」/<武庫川線>3301形/<西大阪線>3501形/<北大阪線>1形・31形/<国道線>71形・91形・201形/<甲子園線>201形
●神戸市営地下鉄
全国6番目の公営地下鉄は山岳トンネルを抜けて終点・名谷駅へ。(昭和55年撮影)
1000形
●神戸電気鉄道
50‰の急勾配区間が全線の半分近くを占める全国屈指の山岳路線である有馬線。ダム建設で水没した旧線経由で鈴蘭台へ。神鉄最大のジャンクションに、旧塗色をまとった急勾配対応の歴代車両が集結する。(昭和52年撮影)
<有馬線>300系/800系/1000系/1100系/1300系/3000系(旧塗色)
●山陽電気鉄道
旧ターミナル電鉄兵庫から併用軌道の旧線を当時最新鋭の2000系アルミカーが行く。神戸高速鉄道の開通後は阪急・阪神の車両も乗入れる。西代-東須磨間は阪神・淡路大震災で不通となり、復旧しないまま地下線に。(昭和37年~49年撮影)
<本線>200形/700形(国鉄モハ63形)/820形・850形/250系/300系/2000系(鋼製車・ステンレスカー・アルミカー)/2700系/3000系(アルミカー・旧塗色鋼製車)/<網干線>250系
ナレーター:子守康範
監 修:宮澤孝一
【奥井宗夫氏 略歴】
三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって撮り集めたカラーフィルムは約280本にもおよぶ。松阪レールクラブ会員。
制作:株式会社 動輪堂