よみがえる総天然色の列車たち第2章(14)

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近鉄篇Ⅱ 奥井宗夫8ミリフィルム作品集

品番: DR-4174 本体価格3,800円+税

ドルビーデジタル 80分

2013年6月21日発売

 

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修学旅行専用車20100系「あおぞら」と、「ワンランク上」のスナックコーナーを備えた12000系「スナックカー」、近鉄特急ネットワークの拡大をリードした12200系を中心に、数々の特急用車両が登場。伊賀線で余生を送る歴代の旧型車のほか、10000系「ビスタカー」運転最終日の姿が鮮やかによみがえる。(昭和37年〜昭和59年撮影)

 

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20100系「あおぞら」

私鉄初の修学旅行専用車として昭和37年に登場。営業運転開始直前の試乗会で撮影された映像で車内・外観を紹介する。営業運転では修学旅行の他、一般向けの団体列車や、臨時快速急行など様々な運用が見られた。


12000系「スナックカー」・12200系「新スナックカー」

12000系は名阪ノンストップ特急用として、スナックコーナーを備えて昭和42年に登場。2年後にデビューした12200系はスペースが拡大され窓も設けられた。その後、スナックコーナーが省略されたグループや4両・6両固定編成も出揃い、近鉄車両最多の168両を擁する形式となった。

 

鳥羽線(単線時代)

12200系登場間もない昭和45年に開催された日本万国博にあわせて、宇治山田―鳥羽間の鳥羽線が全通。翌年に五十鈴川まで、昭和50年に鳥羽までが複線化された。

 

お召し列車

昭和46年・50年に運転されたお召列車は当時最新鋭の12200系を使用。4両目のク12300形に御座所が設けられ、5両目に連結されたモ12200形のスナックコーナーから食事が提供された。昭和50年にはイギリスのエリザベス女王を乗せた特別列車も運転された。

 

旧雲出川橋梁

伊勢中川―桃園間に架かる旧雲出川橋梁付近は名古屋線最後の単線区間でボトルネックとなっていた。

 

混結列車(10100系〜12200系)

12200系は他の特急車両と自在に連結され、多彩な運用をこなした。電気連結器を備えていたが、10100系との連結のためにジャンパ栓も残されていた。

 

伊賀線

昭和51年当時は、前身の伊賀電気鉄道時代からの生え抜きモニ5181形が現役で活躍。伊勢電出身のモニ5200形や、信貴山電鉄出身のモ5251形など転入車の姿も見られた。

 

10000系「ビスタカー」引退

昭和46年5月に行われたお別れ運転の映像。各車両の走行中の内観、明星車庫で撮影された外観など、現役最後の日の姿が刻まれる。

 

主な収録車両
20100系「あおぞら」/460系/900系/12000系「スナックカー」/12200系「新スナックカー」/10100系/10400系/11400系/18400系/モニ5181形/モニ5200形/クニ5361形/モ5251形/モ5000形/ク5100形

 

 

ナレーター : 子守康範

撮影・監修 : 奥井宗夫

監修 : 山邊誠
構成・演出 : 宮地正幸



【奥井宗夫氏  略歴】
三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって撮り集めたカラーフィルムは約280本にもおよぶ。松阪レールクラブ会員。


制作:株式会社 動輪堂