よみがえる総天然色の列車たち第2章(17)

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近鉄篇Ⅴ 奥井宗夫8ミリフィルム作品集

品番: DR-4177 本体価格3,800円+税

ドルビーデジタル 83分

2013年11月21日発売

 

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昭和34年に颯爽と登場し、近鉄の看板車両として活躍した10100系「新ビスタカー」がついに引退の時を迎える。「V9」(ブイナイン)とも呼ばれた堂々3重連での運転を、昭和54年のラストランまで2年にわたって追跡した膨大なフィルムを中心に構成。昭和後期の近鉄の姿が鮮やかによみがえる。(昭和46年〜昭和57年撮影)

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12400系「サニーカー」

有料特急運転開始30周年にあたる昭和52年に登場し、鉄道友の会のブルーリボン賞を受賞。お召列車にも使用され、その後の次世代型特急車の基本となった。


30000系「ビスタカーⅢ世」

2年連続でブルーリボン賞を受賞。中間2両の2階建て車両は、車体上半分を載せ替えた平成8年の更新工事以前、全く異なる外観を有していた。


10100系「新ビスタカー」

A編成+C編成、B編成+C編成や他形式との混結など様々な組み合わせで活躍を続けた10100系は、12400系・30000系の登場により第一線を退きはじめる。


10100系3重連「V9」

昭和53年春、初めて10100系A・C・Bの3ユニットを連結した9連で、近鉄名古屋―鳥羽間を運転。ビスタカー9連を意味する「V9」とも呼ばれ、好評を博した。同年の夏休み期間に再び運転。秋には上本町―鳥羽間の列車も加わった。これら3重連の華麗なる姿を車内の映像とともに紹介。


北勢線 その後

起点の西桑名駅は旧駅から新駅に移転。モニ220形が運転台を持たない付随車を牽引する、近鉄のナローゲージ路線で永く続けられて来た運転方式は、間もなく消滅する運命に。


内部線・八王子線 その後

北勢線の近代化で運用から外れた北勢電気鉄道出身のモニ220形等の旧型車が、もう一か所のナローゲージ路線である内部(うつべ)線・八王子線に転属。松阪鉄道出身のモ230形など、より旧い車両たちの引退は間近となっていた。


養老線 その後

貨物輸送が衰退し、伊勢電気鉄道出身の電気機関車デ11形が牽引する貨車はごくわずかに。一方の旅客列車には、かつての名古屋線特急車6421系など歴代の名車たちが活躍。


「V9」ラストラン

昭和54年夏、10100系「新ビスタカー」の3重連での最後の運転が、特製のヘッドマークを掲げて近鉄名古屋―鳥羽間で行われた。

 

 

【主な収録車両】

12400系「サニーカー」/10400系/11400系/12000系「スナックカー」/12200系「新スナックカー」/30000系「ビスタカーⅢ世」/2250系/モワ10形(2代)・クワ50形(2代)/2600系/18200系/18400系「ミニスナックカー」/10100系「新ビスタカー」/6431系/680系/モニ220形/サ150形/サ140形/サ130形/デ40形/ク200形/ク140形/モニ210形/サニ110形/サ120形/モ230形/デ11形/モ5820形/モ5300形/ク5300形/モ6561形/ク1560形/6421系/ク6561形/サ1560形/ク1320形/モワ10形/20100系「あおぞら」/2680系/1600系/2000系

 

 

ナレーター : 羽川英樹

撮影・監修 : 奥井宗夫

監修 : 山邊誠
構成・演出 : 宮地正幸

 

【奥井宗夫氏  略歴】
三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって撮り集めたカラーフィルムは約280本にもおよぶ。松阪レールクラブ会員。


制作:株式会社 動輪堂