よみがえる総天然色の列車たち第2章(18)

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路面電車篇〈前編〉 奥井宗夫8ミリフィルム作品集

品番: DR-4178 本体価格3,800円+税

ドルビーデジタル 84分

2014年1月21日発売

 

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モータリゼーションに押され、昭和40年代〜50年代に各都市から次々と姿を消した路面電車。そのうち5社局のありし日の姿と、現在も存続する5社局の昭和の姿が、行き交う自動車・バスや懐かしい街並とともに鮮やかによみがえる(昭和38年〜昭和56年撮影)

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京都市電 【14分】

昭和47年に撮影された廃止直前の大宮線・千本線・四条線をはじめ、やはり廃止間近の烏丸線、その後次々と姿を消すことになる丸太町線・河原町線・七条線・九条線・東山線・北大路線の映像を収録。(昭和47年・49年・51年・52年撮影)

 

京福電気鉄道 【14分】

叡山線とともに集電装置にトロリーポールを使用し、当時最古参のモボ101型も活躍。(昭和46年撮影)

 

南海電気鉄道 大阪軌道線 【6分】

間もなく始まる上町線でのワンマン運転に備えて、オレンジ・グリーン・ブルーのカラフルな「雲電車」が続々登場。ツーメン車も濃いグリーンに統一されつつあった。平野線では、廃止の兆しが見えはじめた。(昭和51年撮影)

 

神戸市電 【3分】

部分廃止が進み、わずかに残されていた栄町線・高松線など6路線・三宮阪神前―板宿間10.6kmもついに廃止の日を迎えた。和田岬の市電専用の鉄橋や花電車、大丸前に展示されたロマンスカー700形など最終日の記録。(昭和46年撮影)

 

西日本鉄道 福岡市内線 【11分】

福岡の中心・天神交差点を、2連接車1300形をはじめ、66形、500形など歴代の車両たちが縦横に交差。城南線・城東橋付近では大牟田線との平面交差も見られた。廃止2日前の貫通線(貫線)と呉服町線は、バス転換の準備や花電車の運転などの光景が。(昭和46年・50年撮影)

 

西日本鉄道 北九州線 【8分】

北九州本線は、インターアーバンとも呼ばれる都市間高速鉄道として建設された、西鉄発祥の路線。狭軌の北方線、戸畑線・枝光線の分岐する幸町など、印象的な風景が展開した。(昭和48年・50年・58年撮影)

 

北九州市営軌道 【2分】

電気機関車が貨車を牽引して併用軌道を走る、全国でも珍しい貨物専用の路面鉄道。一般道上で自動車やバスと鉢合わせしながら若松駅へ。(昭和50年撮影)

 

大分交通 別大線 【1分】

昭和47年まで、大分と別府とを結んだ路線。市街地は併用軌道、高崎山の麓など海沿いの区間は専用軌道で、中間駅には駅員も配置されていた。 (昭和46年撮影)

 

熊本市電 【7分】

いち早く車体への全面広告を取り入れた車両たち。路面電車初の冷房車1200形も当時はまだ非冷房のまま。(昭和50年撮影)

 

鹿児島市電 【6分】

後に廃止となった伊敷線・上町線が健在の頃。大阪市電出身の800形や、移籍後2連接車に改造され誕生した700形など、今はなき車両や路線の姿を記録する。(昭和51年撮影)

 

呉市電 【1分】

撮影当時は車もまばらな市街地や、路面電車らしからぬ峠越えの軌道を行く姿は、昭和42年に早くも幻と消えた。(昭和38年撮影)

 

広島電鉄 軌道線 【13分】

原爆の悲劇から18年後の映像に始まり、その後18年間の変遷を記録。「被爆電車」650形や、宮島線直通用で単行の2000形など生え抜きが活躍する中、廃止となった各地の路線から譲り受けた車両たちが活躍を始めた。(昭和38年・48年・56年撮影)

 

ナレーター : 羽川英樹

撮影・監修 : 奥井宗夫

監修 : 山邊誠
構成・演出 : 宮地正幸

 

【奥井宗夫氏  略歴】
三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって撮り集めたカラーフィルムは約280本にもおよぶ。松阪レールクラブ会員。


制作:株式会社 動輪堂