よみがえる総天然色の列車たち第2章(19)
後に荒川線に統合されるわずか4路線を残して昭和47年までにほとんどが消滅した東京都電。昭和49年に全廃となった名古屋市電。廃止と存続に運命が分かれた11社局の昭和の姿を紹介する。(昭和37年〜昭和54年撮影)
仙台市電 【6分】
前面に大型窓を備えた左右非対称のモハ100形をはじめ、杜の都の路面電車はウインカーを装備。元呉市電の姿も見られたが、撮影後間もなく全線が廃止された。(昭和51年撮影)
東京都電 【16分】
錦糸堀車庫を拠点に、亀戸駅前・東陽公園前・門前仲町・永代橋など東京都東部を走った路線を収録。都心の日本橋に28系統・38系統が、須田町には24系統・29系統が姿を見せ、後に荒川線となる三ノ輪橋―早稲田間では、27系統・32系統の電車が走る。(昭和47年・48年頃撮影)
静岡鉄道 【5分】
併用軌道の道路は未舗装、手回しブレーキを使用する、時が止まったような廃止5日前の秋葉線と、同日に運転最終日を迎えた静岡市内線を収録。(昭和37年撮影)
名古屋市電 【16分】
地下鉄の建設との引き換えに廃止が進められた時代。名古屋駅前のロータリーを通過するのは11系統などごく一部に。戦前の名車1400型や独特の進化を遂げた2000型などが活躍。金山橋・築地口・西稲永・笹島町・稲葉地町・鶴舞公園・沢上町・船方・熱田神宮前・大江町・昭和町・市立大学病院など各地での映像のほか、地下鉄東山線も収録。(昭和46年・47年・49年撮影)
豊橋鉄道 【3分】
豊橋駅に直結する区間廃止後の東田本線。新川から分岐する柳生橋支線には、元名古屋市電初の半鋼製低床ボギー車1200型であるモ3700形の姿があった。(昭和48年撮影)
名古屋鉄道 【5分】
「名鉄篇」未収録の岐阜市内線。モ550形がお城のデザインの運行標識板を掲げて「長良線」へ直通する。揖斐線直通急行に使用されるモ510・モ520形は連結運転となり、スカーレット一色の車両も登場。美濃町線では札幌市電から移籍したモ870形が活躍を始めた。(昭和48年・52年撮影)
富山地方鉄道 富山市内線 【3分】
神通川西側の新富山駅前で射水線と接続。富山市中心部の西町では、不二越方面へ路線を伸ばす東部線が分岐していた。(昭和54年撮影)
岡山電気軌道 【5分】
元秋田市電の1000型、元呉市電の2500型、元東武鉄道日光軌道線の3000型など、昭和40年代は全て移籍車両で運転されていた。(昭和45年・48年・52年撮影)
土佐電気鉄道 【8分】
登場する車両の多くが今も現役だが、桟橋線起点の高知駅前や終点の桟橋通五丁目周辺、ジャンパ栓を装備した安芸線直通電車など、現在とは異なる様々な姿を収録。(昭和48年撮影)
伊予鉄道 【4分】
古町車庫では、縮小が進む京都市電から移籍したばかりのモハ2000形がお色直しを待つ。鉄道線である高浜線との、大手町駅前付近の平面交差は、後に日本唯一の場所に。(昭和52年撮影)
長崎電気軌道 【8分】
東京都電荒川線の前身・王子電気軌道から箱根登山鉄道小田原市内線を経て転入した150形のほか、700形・800形など東京都電出身の車両や、西鉄北九州線の前身・九州電気軌道開業当時を知る160形など、移籍車両の顔ぶれも豊富。その活気は現在へと続く。(昭和51年撮影)
豊橋鉄道商品化許諾済 名古屋鉄道商品化許諾済
ナレーター : 羽川英樹
撮影・監修 : 奥井宗夫
監修 : 宮澤孝一・山邊誠
構成・演出 : 宮地正幸
【奥井宗夫氏 略歴】
三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。23歳で8ミリカメラを手にして以来、鉄道車両を追って日本各地を行脚。青果業を営むかたわら、四半世紀以上にわたって撮り集めたカラーフィルムは約280本にもおよぶ。松阪レールクラブ会員。
制作:株式会社 動輪堂