モノクロームの列車たち2
昭和40年代中盤から後半に撮影された、消え行く蒸気機関車を中心とする国鉄線や路面電車の姿。上杉尚祺・茂樹兄弟が全国を駆け回り、モノクロ―ムにこだわって撮影した貴重な未公開8㎜フィルムを発掘し、地域別に再構成して紹介する。(昭和43年〜昭和50年撮影)
大湊線 青森機関区 奥羽本線 五能線
9600形が入換え作業に従事する傍らで、休車になった機関車が多数留置される青森機関区構内。電化間近の奥羽本線では、C61形が後補機のD51形とともに、矢立峠越えに挑む。五能線では8620形が混合列車を牽引。
石巻線 陸羽東線 磐越西線 会津線
石巻線の終点・女川駅の先にかつて存在した女川港貨物駅から、鮮魚の積み出しに陸東・石巻線管理所のC11形が奔走。同所に配置のC58形は、陸羽東線で重連運転に活躍。のちに只見線となる会津線では、会津若松運転区のC11形が只見川流域の数々の橋梁を渡る。
※一部同時録音
東海道本線
昭和45年10月、東海道本線支線の通称・高島貨物線の電化による蒸気機関車廃止を記念して、D51形牽引の列車が東京―横浜港間で運転された。
只見線 飯山線 小海線
上越線と接続する飯山線の終点で働くC56形。「高原のポニー」の愛称が生まれた小海線の風景が最もよく似合う。
中央本線
ゼブラ塗装のC12形とともに、時には中央西線木曽福島駅構内で入換え作業も行ったD51形。本線では旅客に貨物に大車輪の活躍を見せた。木曽川に絡みながら走る旧線は、電化に伴うルート変更で廃線となり、第五木曽川橋梁など数々の撮影名所も姿を消した。
この作品は、かつて撮影された8ミリフィルム映像を編集したものです。一部、当時の撮影環境に起因する見づらい場面、フィルムのキズや経年化による退色・変色が発生している場面などがありますが、いずれもたいへん貴重な映像ですので、そのまま使用しています。ご了承ください。
撮影・監修:上杉尚祺・上杉茂樹
構成・演出:宮地正幸
【上杉尚祺氏 略歴】
京都市在住。昭和15(1940)年生まれ。昭和43年、電化完成直前の東北本線・奥中山の三重連を皮切りに列車の撮影を開始。東映京都テレビプロダクションに入り、助監督としてキャリアを重ねながら、蒸気機関車の撮影を続ける。後に映画監督となり「三匹が斬る!」「水戸黄門」など数々の作品を発表し、現在も太秦の東映京都撮影所で「土曜ワイド劇場」などの監督として活躍中の現役映画人。
【上杉茂樹氏 略歴】
川崎市在住。昭和24(1949年)生まれ。尚祺氏を筆頭とする5人兄弟の末弟で四男。18歳の時、尚祺氏に誘われて蒸気機関車の撮影に同行したのをきっかけに、蒸気機関車と撮影の魅力に取り付かれる。アルバイトで蓄えた貯金で撮影のために中古車を購入し、以来全国各地への大撮影旅行を繰り返した。現在はプロフォトグラファーとして活躍中。
制作:株式会社動輪堂