モノクロームの列車たち4

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蒸気機関車〈中国・九州-1〉篇 上杉尚祺・茂樹8ミリフィルム作品集

品番: DR-4186 本体価格3,000円+税

モノクロ ドルビーデジタル 53分

2016年9月21日発売

 

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昭和40年代中盤から後半に撮影された、消え行く蒸気機関車を中心とする国鉄線や路面電車の姿。上杉尚祺・茂樹兄弟が全国を駆け回り、モノクロ―ムにこだわって撮影した貴重な未公開8㎜フィルムを発掘し、地域別に再構成して紹介する。(昭和43年〜昭和50年撮影)

 

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伯備線

新見―備中神代間に設置された布原信号場付近は、撮影名所として知られる場所だった。1日上り1本だけ運転されるD51形三重連が、ドラフト音を轟かせて第二十三西川橋梁を渡る姿を多数収録。下り列車では後補機が逆向き重連で連結される列車も運転された。
※一部同時録音

 

山陰本線

「ナメクジ」と呼ばれた半流線型のD51形1次形で、浜田機関区が現役最後の配置区となったトップナンバーD511が最後の活躍を見せる。梅小路蒸気機関車館(現・京都鉄道博物館)入りを前に行われたさよなら運転では、D511+C56108+C57101+D51620の四重連の先頭に立つ。

 

広島機関区

昭和45年当時、呉線はC62形が運用される本州最後の路線となっていた。糸崎への折り返しを前に整備を受ける旅客用最大の蒸気機関車の傍らでは、その後廃止された宇品線や可部線非電化区間で活躍するC11形の姿もあった。

 

美祢線

沿線で石炭や石灰石が産出され、盛んに行われた貨物輸送にD51形やC58形が従事。石灰石を積み出す重安駅に向う下り回送列車や、南大嶺駅から分岐する大嶺支線大嶺行きの下り混合列車では、転車台がない両駅までバック運転が行われた。

 

筑豊本線 後藤寺線 田川線 伊田線 日田彦山線

最大25‰の急勾配が介在する難所・冷水峠を越える筑豊本線。鹿児島本線と接続する終点・原田駅構内で折り返しの準備を行うD50140は、直方機関区配置で、その後若松機関区を経て梅小路蒸気機関車館入りを果たす。古豪9600などが支えた筑豊各線の石炭輸送は、筑豊炭田の衰退に伴い激減し、主要な貨物は香春岳などで産出される石灰石に移行。日田彦山線・田川線などを経由する長大編成の貨物列車が運転された。
※一部同時録音

 

この作品は、かつて撮影された8ミリフィルム映像を編集したものです。一部、当時の撮影環境に起因する見づらい場面、フィルムのキズや経年化による退色・変色が発生している場面などがありますが、いずれもたいへん貴重な映像ですので、そのまま使用しています。ご了承ください。

 

撮影・監修:上杉尚祺・上杉茂樹

構成・演出:宮地正幸

 

【上杉尚祺氏  略歴】
京都市在住。昭和15(1940)年生まれ。昭和43年、電化完成直前の東北本線・奥中山の三重連を皮切りに列車の撮影を開始。東映京都テレビプロダクションに入り、助監督としてキャリアを重ねながら、蒸気機関車の撮影を続ける。後に映画監督となり「三匹が斬る!」「水戸黄門」など数々の作品を発表し、現在も太秦の東映京都撮影所で「土曜ワイド劇場」などの監督として活躍中の現役映画人。

 

【上杉茂樹氏  略歴】
川崎市在住。昭和24(1949)年生まれ。尚祺氏を筆頭とする5人兄弟の末弟で四男。18歳の時、尚祺氏に誘われて蒸気機関車の撮影に同行したのをきっかけに、蒸気機関車と撮影の魅力に取り付かれる。アルバイトで蓄えた貯金で撮影のために中古車を購入し、以来全国各地への大撮影旅行を繰り返した。現在はプロフォトグラファーとして活躍中。


制作:株式会社動輪堂