モノクロームの列車たち5
昭和40年代中盤から後半に撮影された、消え行く蒸気機関車を中心とする国鉄線や路面電車の姿。上杉尚祺・茂樹兄弟が全国を駆け回り、モノクロームにこだわって撮影した貴重な未公開8㎜フィルムを発掘し、地域別に再構成して紹介する。(昭和43年〜昭和50年撮影)
室木線 唐津線
昭和47年当時の唐津線では、西唐津機関区配置の9600形が、貨物列車の他、1日1往復の旅客列車も牽引していた。
※一部同時録音
豊肥本線 高森線 三角線 湯前線
豊肥本線最大の難所である立野駅付近の三段式スイッチバックを、熊本機関区配置の9600形が貨物を牽引して駆け登る。立野駅から分岐する高森線のC12形、三角線のC11形も熊本機関区配置。湯前線の貨物列車は人吉機関区の8620形が受け持った。
肥薩線 山野線 吉都線 指宿枕崎線 志布志線
「山線」とも呼ばれる肥薩線・人吉―吉松間は、日本の鉄道屈指の難所。人吉機関区配置のD51プッシュプルによる下り混合列車がループ線に挑む。吉松機関区のC55形は、鹿児島本線・西鹿児島駅までと吉都線の旅客と貨物を、C56形は山野線・薩摩大口駅までの貨物を担当。鹿児島機関区・宮崎機関区のC57形も肥薩線・吉都線に入線した。指宿枕崎線ではC12形が、志布志線ではC11形・C58形が活躍した。
※一部同時録音
鹿児島機関区 日豊本線
鉄道100周年の昭和47年7月、記念イベントで鹿児島機関区が特別公開され、九州各地から蒸気機関車が集結。休車となっていたB2010も復活した。日豊本線ではC612+C57199+C5557の三重連による臨時列車が運転された。
この作品は、かつて撮影された8ミリフィルム映像を編集したものです。一部、当時の撮影環境に起因する見づらい場面、フィルムのキズや経年劣化による退色・変色や画面のぶれが発生している場面などがありますが、いずれもたいへん貴重な映像ですので、そのまま使用しています。ご了承ください。
撮影・監修:上杉尚祺・上杉茂樹
構成・演出:宮地正幸
【上杉尚祺氏 略歴】
京都市在住。昭和15(1940)年生まれ。昭和43年、電化完成直前の東北本線・奥中山の三重連を皮切りに列車の撮影を開始。東映京都テレビプロダクションに入り、助監督としてキャリアを重ねながら、蒸気機関車の撮影を続ける。後に映画監督となり「三匹が斬る!」「水戸黄門」など数々の作品を発表し、現在も太秦の東映京都撮影所で「土曜ワイド劇場」などの監督として活躍中の現役映画人。
【上杉茂樹氏 略歴】
川崎市在住。昭和24(1949)年生まれ。尚祺氏を筆頭とする5人兄弟の末弟で四男。18歳の時、尚祺氏に誘われて蒸気機関車の撮影に同行したのをきっかけに、蒸気機関車と撮影の魅力に取り付かれる。アルバイトで蓄えた貯金で撮影のために中古車を購入し、以来全国各地への大撮影旅行を繰り返した。現在はプロフォトグラファーとして活躍中。
制作:株式会社動輪堂