よみがえる総天然色の列車たち第3章1 国鉄篇〈前編〉

よみがえる総天然色の列車たち第3章1 国鉄篇〈前編〉

 

 

 

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品番:DR-4192 本体価格4,000円+税

ドルビーデジタル 75分

2017年3月21日発売

 

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昭和50年の山陽新幹線全通後も、東海道本線には九州方面などへ数多くのブルートレインが運転されていた。
その他の路線でも、今はなき懐かしい車両たちが活躍。一方、それまでの画一的なデザインから脱却した新形車両も次々と登場し、輸送体系やサービスとともに、昭和62年の分割民営化に向けて、国鉄は大きく姿を変えて行った。
(昭和49年〜昭和61年撮影)

 

よみがえる総天然色の列車たち第3章1 国鉄篇〈前編〉

上越線 水上―石打間の峠越え区間では、EF15形牽引の貨物列車にEF16形の前補機が付き、重連での運転が見られた。上野―新潟間の特急「とき」は、181系に代わって、183系が主役として活躍する時代となっていた。

 

信越本線 碓氷峠をはさむ横川―軽井沢間の勾配は最大66.7パーミル。電車とも協調運転を行える補機専用のEF63形が、常に横川方に連結されて登り降りしたが、北陸新幹線が長野まで開業した平成9年に廃止された。

 

首都圏の電気機関車 国鉄を代表する電気機関車・EF65形1000番代が山手貨物線で活躍する一方で、EF13形・EF15形・EF57形などの古豪機関車たちの引退の時が近づいていた。

 

中央本線1(中央東線) 身延線 183系特急「あずさ」や、サハシ165形を連結した急行「アルプス」などとともに、115系も臨時急行「たてしな」として運転される中央本線。飯田線や身延線には、旧形国電の姿が多く見られた。

 

東海道本線1 東京駅を目指す14系や24系の寝台特急群の中に、20系を初めて急行に転用した寝台急行「銀河」の姿も。東京―伊豆急下田間の特急「あまぎ」には185系が登場。中京地区の快速には117系が投入された。

 

中央本線2(中央西線) 名古屋口では、「湘南形」80系に代わり通勤輸送に103系や113系が台頭。特急「しなの」には381系が活躍していた。

 

東海道本線・北陸本線 米原 坂田―田村間に交直セクションを有する北陸本線。短距離の普通列車にキハ48形が使用される一方、中距離用には特急形寝台電車583系から改造された419系が投入された。米原機関区で開催された撮影会には、引退が近づきつつあったEF58形が集結した。

 

北陸本線 L特急「雷鳥」「しらさぎ」「加越」や475系急行「くずりゅう」と共に、昭和60年3月まで普通列車にはEF70形が牽引する旧型客車も見られた。

 

東海道本線2 阪和線・紀勢本線 東海道本線関西地区の快速には、昭和55年までグリーン車を連結。阪和線ではEF52形やED60形の電気機関車が貨物列車の牽引に活躍していた。昭和53年には和歌山駅で接続する紀勢本線も電化が完成。臨時急行「きのくに」がEF58形牽引で運転された。

 

大阪環状線・関西本線 桜井線・和歌山線 洪水で大量の廃車が発生した関西本線に、ウグイス色に代りオレンジバーミリオンやカナリア色の101系が投入された。桜井線・和歌山線には、千代田線乗入れ用の103系から改造された105系が登場。

 

山陽本線 鹿児島本線 北部区間では交直両用の近郊形電車421系が運用される鹿児島本線。熊本駅から南の区間では、普通列車の大部分が電気機関車の牽引による旧形客車での運転だった。

 

東海道本線3 「サロンエクスプレス東京」「江戸」などのジョイフルトレインが人気を博した国鉄末期。分割民営化を前に昭和61年11月に行われた最後のダイヤ改正で、新快速は外側線での運転となり大増発されるなど、都市圏では積極的な集客をめざすダイヤに転換し、JRヘと引き継がれた。

 

ナレーター:羽川英樹

撮影・監修:奥井宗夫

監修:山邊誠

構成・演出:宮地正幸

 

【奥井宗夫氏  略歴】
三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。23歳で8ミリカメラを手にして以来、青果業を営むかたわら、鉄道車両を追って日本各地を行脚。四半世紀以上にわたってカラーフィルムで列車を撮影し続けた。松阪レールクラブ会員。

制作:株式会社 動輪堂