よみがえる総天然色の列車たち第3章2 国鉄篇〈後編〉

よみがえる総天然色の列車たち第3章2 国鉄篇〈後編〉

 

 

 

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品番:DR-4193 本体価格4,000円+税

ドルビーデジタル 72分

2017年4月21日発売

 

タイトル画像

 

よみがえる総天然色の列車たち第3章2 国鉄篇〈後編〉

 昭和50年代から60年代にかけて、国鉄では非電化区間にも大きな変化が表れる。優等列車は特急への一本化、普通列車はディーゼル機関車牽引からディーゼルカーへの移行が進展。一般形車両に、キハ40系が大量投入される一方で、旧形車が淘汰され、引き続き使用されるものは、「首都圏色」に統一されていった。キハ58系は急行色のまま、混結による普通運用が日常化し、ディーゼル機関車は、ジョイフルトレインの運用が注目を集める中、昭和62年の国鉄分割民営化が迫りつつあった。 (昭和44年〜昭和61年撮影)

 

各地の蒸気機関車 未公開フィルムより、昭和40年代の鹿児島本線・鹿児島機関区・米子機関区など各地の蒸気機関車の映像を収録。

 

和歌山線 C58形が活躍した時代の未公開映像と、全線電化完成の前日に運転最終日を迎えた急行「紀ノ川」など、ディーゼル時代の同線を紹介。

 

紀勢本線のディーゼル機関車 電化以前の和歌山−和歌山市間ではDD13形が客車列車を牽引。新宮以東の非電化区間では、DD50形とDF91形をベースに誕生したDF50形が、昭和55年まで活躍した。DD51形はその後も運用が続いた。

 

キハ82系 キハ81系とともに名古屋−天王寺間の特急「くろしお」に運用されたが、紀勢本線電化後は名古屋−紀伊勝浦間の「南紀」に転身。

 

キハ58系 地方幹線の電化や特急格上げによって、昭和50年代以降、全国で急行の運転本数が激減。キハ65形とともに大量の余剰車が発生したため、従来は客車を使用していた臨時列車や、旧式の一般形気動車を使用していた普通列車の運用が増加した。

 

一般形気動車 「首都圏色」とも呼ばれる朱色一色の塗装が新しい標準色として昭和51年に採用され、翌年には、当初からこのカラーでキハ40系が登場。大都市近郊の非電化通勤路線向けから転用されたキハ35系とともに、ローカル線の旧形車両を置き換えていった。塗色の統一は徐々に行われたため、新旧のカラーが混在する光景が永らく見られた。

 

50系 旧形客車置き換え用に、一般形では初めて自動ドアを備えて昭和52年に登場。「レッドトレイン」とも呼ばれ、ローレル賞も受賞。同時に、青い車体の郵便荷物車スユニ50形も製造されたが、鉄道郵便の廃止で短命に終わった。

 

伊勢線 関西本線と紀勢本線をショートカットする、ほとんどが立体交差の高規格路線で、開業以来、キハ35系・キハ30形が主力として活躍。

 

ジョイフルトレイン 従来からのお座敷客車に加え、12系や14系からヨーロッパ風客車などに改造された車両が、昭和50年代から60年代にかけて続々と登場。「ユーロライナー」「サロンカーなにわ」「いこい」「旅路」などが団体輸送を中心に多彩な顔ぶれを見せた。

 

大物車 8組の台車・16軸の車輪を備えたシキ800形など、変圧器など特大重量貨物運搬のための特殊車両が、独特の走行音を響かせる。

 

国鉄末期のDC・DLたち 普通列車の電車や気動車への置き換えが進み、誕生からまだ歴史の浅い50系客車は急速に減少。紀勢本線非電化区間では、優等列車は特急「南紀」のみとなる。キハ58系は急行色のまま、普通運用が中心となり、「首都圏色」となったキハ35系・キハ40系などとの混結が日常化した。

 

■撮影当時の機材により、同録音声のない映像も含まれます。

 

ナレーター:羽川英樹

撮影・監修:奥井宗夫

監修:山邊誠

構成・演出:宮地正幸

 

【奥井宗夫氏  略歴】
三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。23歳で8ミリカメラを手にして以来、青果業を営むかたわら、鉄道車両を追って日本各地を行脚。四半世紀以上にわたってカラーフィルムで列車を撮影し続けた。松阪レールクラブ会員。

制作:株式会社 動輪堂