よみがえる総天然色の列車たち第3章3JR篇〈前編〉
昭和62年4月1日、国鉄分割民営化が実施され、JR7社が発足した。
車両たちの多くはJRのロゴを付けただけで、しばらくは国鉄時代の姿のまま使用されたが、JR四国ではいち早く、コーポレートカラーの水色主体へと塗色変更が進められた。
昭和63年には青函トンネルと瀬戸大橋が開通。各社オリジナルの車両も次々と登場し、それぞれの個性を前面に打ち出した姿へと変貌を遂げようとしていた。
(昭和62年〜平成2年頃撮影)
本四備讃線(瀬戸大橋線) 昭和63年4月に本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が完成し、JR西日本とJR四国の新線・本四備讃線が開業した。瀬戸大橋線の愛称が付けられた岡山―高松間では213系快速「マリンライナー」が運転を開始。四国内の気動車のカラーは国鉄色から水色主体へと変更された。
山陽本線 線路別複々線区間の須磨駅付近を、JR西日本の所属となった103系・201系・205系普通列車、111系・113系快速、117系新快速、キハ58系急行「但馬」、キハ181系特急「はまかぜ」、そしてJR貨物のEF65形・EF66形が牽引する貨物列車が行き交う。
和田岬線 山陽本線支線の通称・和田岬線では電化以前、DE10形がプッシュプルでオハ64系を牽引して、兵庫―和田岬間の1駅を朝と夕方以降のみ往復。
札幌駅 昭和63年に高架化された構内に、JR北海道が同年に投入した721系が発着。国鉄時代からの車両たちも次々と姿を見せる。昭和43年の北海道の国鉄初の電化を前に誕生した、交流用近郊形電車711系。「ライラック」「ホワイトアロー」に活躍するのは道内専用の交流用特急形電車781系。キハ183系「北斗」「おおぞら」のほか、キハ82系改造のジョイフルトレイン「フラノエクスプレス」と、バラエティー豊かな気動車も。青函トンネルの開通にともない、快速「マリンライナー」「ミッドナイト」も運転を開始。寝台特急「北斗星」も誕生した。
20系 定期運用を失って、団体臨時列車として紀勢本線・参宮線そして伊勢鉄道にも入線。14系食堂車を改造したラウンジカーを連結したジョイフルトレイン「ホリデーパル」も登場した。
ジョイフル気動車 キハ58系の「セイシェル」「ふれあいSUN-IN」「ほのぼのSUN-IN」、キハ65形「ゴールデンエクスプレスアストル」「エーデル丹後」などJR西日本の車両に続き、JR東海のキハ82系「リゾートライナー」も登場。
東海道本線 国鉄近郊形電車211系を引き継いだJR東海は、その後5000番代・6000番代を増備。オリジナルの311系も加わった。特急形ではJR西日本所属となった485系「しらさぎ」に加え、JR東海初の新形車両・キハ85系が「ひだ」に投入。JR貨物の所属となったEF66形にも新形の100番代が登場した。熱田駅に到着する「カートレイン名古屋」は、自動車とそれを運転する乗客を同時に運ぶ、言わばカーフェリーの鉄道版とも言うべき列車だった。
■撮影当時の機材により、同録音声のない映像も含まれます。
ナレーター:羽川英樹
撮影・監修:奥井宗夫
監修:山邊誠
構成・演出:宮地正幸
【奥井宗夫氏 略歴】
三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。23歳で8ミリカメラを手にして以来、青果業を営むかたわら、鉄道車両を追って日本各地を行脚。四半世紀以上にわたってカラーフィルムで列車を撮影し続けた。松阪レールクラブ会員。
制作:株式会社 動輪堂