よみがえる総天然色の列車たち第3章4 JR篇〈後編〉
国鉄分割民営化により昭和62年4月1日にJRグループが発足。
JR東海エリアの紀勢本線・参宮線ではすでに貨物列車は姿を消し、DD51形は、ジョイフルトレインをはじめ、各社から直通する団体臨時列車の牽引が仕業の中心となっていた。
ディーゼルカーは国鉄時代の姿のまま活躍を続けたが、キハ82系は特急「南紀」が最後の定期運用となった。
JR東海に継承された急行形のキハ58系・キハ65形は、やがてオレンジ色の帯を巻いたオリジナルカラーに変更された。
(昭和62年〜平成2年頃撮影)
客車臨時列車 JR東海に所属するDD51形は、12系や14系による伊勢方面への団体臨時列車を牽引。これらを改造して誕生したジョイフルトレイン「サロンエクスプレス東京」「江戸」「オリエントサルーン」「白樺」「サロンカーなにわ」「あすか」「いきいきサロンきのくに」「ゆうゆうサロン岡山」「パノラマライナーサザンクロス」など各社から乗入れるジョイフルトレインの先頭にも立った。一部はJR東海の「ユーロライナー」と塗色を統一して活躍。「ユーロライナー」を使用した臨時急行「ユーロライナー紀州路」「紀州路」も名古屋−新宮間で運転された。 マヤ34形、キヤ191系など事業用車両の映像も収録。
キハ82系 昭和36年に誕生し、国鉄非電化区間の旅客輸送の主役として活躍してきた特急形気動車は、JR北海道と東海のみに継承。特急「ひだ」がキハ85系に置き換えられると、名古屋−紀伊勝浦間の特急「南紀」が最後の定期運用となった。昭和63年から平成2年まで、名古屋−伊勢市間の快速「ホームライナーみえ」にも使用された。
急行形気動車 キハ58系やキハ65形によるかつての急行列車のような長大編成は、一部の団体臨時列車を除いて消滅。2〜3連の編成を中心に、臨時快速「あたしか」以外は、普通列車の運用に従事していた。
一般形気動車 旧式の気動車置換えを主な目的に、昭和52年から製造されたキハ40系が、大都市近郊の通勤用から転用されたキハ35系とともに、ローカル輸送を支えていた。キハ58系との混結での運用も数多く見られた。
JR東海色 平成元年に登場したJR東海オリジナルのキハ11形が登場すると、キハ40系もアイボリー地に湘南色のラインの入った同じカラーのものが出現しはじめた。キハ58系やキハ65形は、オレンジ1色のライン入りとなり、平成2年3月からは快速「みえ」の運転を開始した。
■撮影当時の機材により、同録音声のない映像も含まれます。
JR東海承認済/JR西日本商品化許諾済/JR九州承認済
ナレーター:羽川英樹
撮影・監修:奥井宗夫
監修:山邊誠
構成・演出:宮地正幸
【奥井宗夫氏 略歴】
三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。23歳で8ミリカメラを手にして以来、青果業を営むかたわら、鉄道車両を追って日本各地を行脚。四半世紀以上にわたってカラーフィルムで列車を撮影し続けた。松阪レールクラブ会員。
制作:株式会社 動輪堂