よみがえる総天然色の列車たち第3章5 近鉄篇〈前編〉
10100系「新ビスタカー」から21000系「アーバンライナー」に至る特急形電車と、マルーン1色から2色塗装へと移り変わる大阪線系統の通勤形電車各形式を中心に、昭和40年代の奈良線・京都線・橿原線、40〜50年代の伊賀線、26000系「さくらライナー」がデビューした平成の吉野線を収録。(昭和42年〜平成2年頃撮影)
京都線・橿原線旧型車/奈良線用通勤形電車 昭和48年に、橿原線の車両限界拡大工事が完成すると、大軌や奈良電時代からの小型車両は一斉に役目を終えて引退。奈良線では、当時の高性能車両の標準色・ベージュに青帯の8000系が、鹿のヘッドマークを掲げて昭和47年まで運転された奈良線特急に活躍した。
特急形電車 昭和42年、初代「スナックカー」12000系のデビュー前に試乗会が行われた。その後名阪特急・阪伊特急などで共に活躍した12200系「新スナックカー」・11400系「新エースカー」・10100系「新ビスタカー」・30000系「ビスタカーⅢ世」、京伊特急の18200系・18400系など特急形電車各形式が大阪線・山田線を行き交う。名阪ノンストップ特急での営業運転開始前の21000系「アーバンライナー」は、山田線に繰り返し乗入れ、試運転が行われた。
大阪線用通勤形電車 昭和30年代に登場したモ1460形・モ1470形・1480系、昭和40年代に登場した2400系・2410系・2430系・2470系、初の名古屋線共通仕様のクロスシート車2600系、その後クーラー付きで登場した2610系・2800系に加えて、近鉄マルーン1色にステンレスの飾り板を付けた界磁チョッパ制御車1400系・8810系が登場。さらに久々の3扉車5200系も加わった。また2250系などから鮮魚列車専用に改造された600系(2代)も紹介する。
伊賀線 まだ貨物営業が行われていた昭和48年当時は、元・伊勢電気鉄道のモハニ231形や元・信貴山電鉄のモ5251形など戦前からの車両が活躍していた。昭和52年には、名古屋線から転入し狭軌用に改造されたモ5000・ク5100形に全車が置き換えられた。
吉野線 16000系と16010系で占められていた特急用に、平成2年、26000系「さくらライナー」が登場。21000系「アーバンライナー」とともに近鉄特急の新時代に一歩を踏み出した。
■撮影当時の機材により、同録音声のない映像も含まれます。
ナレーター:羽川英樹
撮影・監修:奥井宗夫
監修:山邊誠
構成・演出:宮地正幸
【奥井宗夫氏 略歴】
三重県松阪市在住。昭和11(1936)年生まれ。23歳で8ミリカメラを手にして以来、青果業を営むかたわら、鉄道車両を追って日本各地を行脚。四半世紀以上にわたってカラーフィルムで列車を撮影し続けた。松阪レールクラブ会員。
制作:株式会社 動輪堂